今井金箔

金沢箔を知るKANAZAWA-HAKU

金沢箔の歴史~なぜ金沢は金箔の産地となったのか~

金沢の伝統工芸である金沢箔。代表的な金箔だけでなく銀箔やプラチナ箔、真鍮箔などの種類があります。金沢が金箔の主要な産地となったのは、加賀藩が工芸の振興を行い、これによって石川県内で伝統工芸が栄え、金沢箔が広く利用されるようになったことが要因の1つとされています。さらに、北陸は浄土真宗が多く、金仏壇に使われる金箔の需要もありました。その他、金箔作りで重要な工程の紙仕込みに必要である良質な水が手に入ったことや忍耐強い金沢人の気質など歴史的・風土的要因から金沢は箔の産地になったとされています。

これから金沢箔の歴史をご紹介します。
はじまりは明確にはわかっていませんが、加賀藩祖前田利家が1593年豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋の陣中から、七尾で金箔・金沢で銀箔を打つように命じた書状が確認されています。

1696年、江戸に箔座が設置され、全国の金・銀箔類の製造と販売が統制されました。江戸の箔座は1709年に廃止されますが、統制は金座・銀座によって継続されます。しかし、1819年に十二代藩主前田斉広が兼六園内に竹澤御殿を建てた際に使われた金箔は、金沢の職人によって作られたものでした。その後幕府からは箔打ち禁止令が出されましたが、加賀藩は一般への販売を禁じたものの、御用箔の箔打ちは続けていたそうです。

1869年に金座・銀座が廃止されると江戸の製箔は衰退していきました。1888年には箔の品質と価格を管理し、生産調整を行うための有志の同業組合が結成され、箔は羽二重に次ぐ金沢を代表する産物に成長しました。1915年に金沢の箔職人・三浦彦太郎が箔打機の開発に成功します。箔打ちはそれまで手打ちで行っていたため、生産効率は飛躍的に上がりました。

第二次世界大戦中は箔の生産が停滞し、厳しい状況でしたが、戦後は徐々に金箔の製造が復活します。日本の経済成長を背景に、また1961年の親鸞上人大遠忌を契機にして、仏壇仏具に使われる箔の需要が大幅に増加しました。1977年には「金沢箔」として伝統的工芸材料に指定されました。「縁付金箔 製造」は2014年に国の選定保存技術に認定され、2020年には「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」の一つとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

参考資料
川上 明孝「金箔の歴史, 製造工程, 応用技法」
下出 積與「加賀金沢の金箔」(北国出版社、1976年)

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